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    「私の百人一首」−白洲正子

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      決められた制約の中で、いかに伝えたいことを表現するか。


      時間や文字数など無駄を省き、シンプルでかつ鋭く人の心に響く、たとえばCMや広告、キャッチコピーなどに昔からなぜか惹かれます。


      最近では、蜷川実花さんと尾形真理子さんが織り成す、東京の「ルミネ」の広告が良かったですね。


      短歌や俳句もまさに決めれた制約の中の芸術で、美しい文章、読んでいて心地よい文章とは、短歌のリズムの繰り返しと林真理子さんか誰かがおっしゃっていました。


      確かに夏目漱石や三島由紀夫の文章はそういうリズムで流れているような気がします。


      そんなわけで、大人になってから(30歳を過ぎたころから)短歌関連の本が読みたいとずっと気になっていました。


      短歌関連の本は色々あるとは思いますが、どこかの大学の教授が書いたむつかしい短歌論より、


      白洲正子さんのようなサバサバした方がスパッと書いたようなものがいいなあと思っていたので、


      白州正子さんが書き下ろした、「私の百人一首」に決めました。(笑)




      と言いながら買ってから随分と放置してましたが、読み終わってみて思ったとおり白州正子流でスパッと書いてありました。


      百人一首の知識などほとんど無く、清少納言といえば「枕草子」、紫式部は「源氏物語」、紀貫之は「土佐日記」、


      というように、それこそ教科書のなかの平面的な地図記号のように人物を憶えているだけで、


      歌も「ふじのたかねに雪は降りつつ」ぐらいしか思い出せませんでした。


      それでも本を読んでいくうちに、その記号でしかなかった人物が生身の人間として息を吹き返し、


      恋をしたり、もののあわれを感じたり、おかしみを感じたりと、




      小説ではないのでドラマチックには展開はしないですが、


      逆にそのほうが王朝人の営みがリアルに感じられて面白かった。


      あれこれ本のことを全部ここで書いてしまうと、とても長くなってしまうので控えますが、


      例えば、紫式部というお嬢様は、頭が良くてプライドが高く、負けず嫌いで嫉妬深い人だったようで、


      同世代の女性には辛辣で、特に和泉式部と少し先輩の清少納言に対してはライバル心むき出しで、


      彼女の「紫式部日記」にはかなり毒を含んだ文章を書き遺しているという。


      いろんな男性との浮名に事欠かなかった和泉式部のつくる短歌に対しては、


      「はづかしげの歌詠みやとは、覚え侍らず。」と、たいしたことないと切り捨て、


      位の高い人に仕え、大納言行成という男性との和歌のやり取りで才知を喝采されていた清少納言に対しては、


      「したり顔」で「賢しだち」といい、「よく見れば堪えぬこと多かり」と自慢話が多くてつまらぬ女とこき下ろしている。


      真面目でいろんな男性の申し出を断っていたという紫式部にとっては上の二人はうらやましくもあり、うらめしくもあったのだろうか。


      こういう人は今の時代にもいそうで、どこか憎めない可愛げのある人と思いますが、


      「紫式部日記」には、兄より利口なので父に惜しまれたという話を書き、


      またひるがえって男でも学問を鼻にかける人はかっこが悪いとも書き、


      天皇にその学才を褒められると、


      わたしは簡単な漢字も書けないとわざとらしく謙遜する。


      後世、自分の日記が読まれることを十分に計算に入れて書いていて、


      いくら平安朝の文章にしても屈折しすぎている、と白洲正子さんは言う。





      和泉式部が情熱的な歌が多い生粋の歌詠みなのに対して、


      紫式部の歌は物語性がふくまれているという。


      今でいう、恋多きシンガーソングライターと売れっ子美人シナリオライターと言うところでしょうか。


      百人一首はこのように歌の調べや、時代や人物の関連性を重視して並べてあり、連歌的な趣向があっておもしろいと白洲正子さんは言う。


      「山鳥」と聞くだけで王朝人は離れて会えない男女を連想したのだという。


      他にもたくさん言葉一つ一つに何かが掛かっていたり、風景描写に深い想いを連想させたりしている。



      天皇による全国統治の礎を築いた天智天皇の牧歌的な歌から始まり、



      後鳥羽院と順徳院親子の、武家政権によって滅び行く王政側の悲壮的な歌で終わる。



      小野小町や紀貫之など華やかな王朝貴族の最大の遺産である「短歌」は、






      藤原定家によって完成された。






      晩年、百人一首を編纂した定家は、王政の強大な敵であり、また彼の弟子でもある源実朝に「短歌」のすべてを託した。


      短歌に一生をささげた定家にとって、沈みゆく王家や貴族から、我が子を託すような思いで武家や庶民に託し、後世まで残したいと思った。


      その実朝も権力争いに巻き込まれ、暗殺される。





      しかし短歌の重要な要素は、のちに世阿弥によって「能」のなかに受け継がれ、さらに茶道や華道にも受け継がれていったという。


      「短歌」は日本文化の源泉なのだ。


      短歌の楽しみ方は、白洲正子氏曰く、その人の背景、時代、想い、苦しみなどを感じながら読むと、万葉の頃の歌もいいが、技巧的な定家や後鳥羽院の歌も味わい深いという。






      まだまだ私のようなものには鑑賞力に乏しいが、これから年をとるにつれゆっくりあじわって行きたい。



      それにしても、人が想うこと、感じること、今も昔も変わらない。





      滝口 徹






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