結局、続きを書いてしまった。
上賀茂神社に行ったのなら、やはり下賀茂神社も行かねばと途中下車した。
有名な「糺の森」は、伊勢神宮の森に似て壮大で良かったが、

やはり私は上賀茂神社の森のほうが好きかな。
下賀茂神社を出たところで、先輩がどうも銀閣寺に行きたそうな風情だったので、
夕方から大阪で用事もあったのでタクシーで向かうことにした。
本当は慈照寺という。

でも、古い文献にも銀閣寺と記載されているみたいだから、みんな銀閣寺と呼んでいたのだろう。
もともと「東山殿」と言い、将軍義政のと政治的機能を備えた邸宅で、義政亡き後、
京都五山のひとつ、相国寺の末寺として改められた。
だから、当然義政の時代には円錐はなかったと思うが、どうだろう。

この砂の芸術たちは外国人の受けがよく、行くたびに外国人が釘付けになっているのを見かける。

もう一つの国宝、東求堂の写真は忘れたが、ここで司馬遼太郎とドナルドキーンが対談した。
その対談は書籍になっていて、「日本と日本文化」という名で中公文庫から出ている。
しかし、禅宗とは不可思議な世界。
枯山水は、禅宗の思想、世界観を具現化したモノらしいが、
深すぎてわからない(笑)
禅寺にはよく行くが、では禅とはいったいなんなのか知らない。
夏目漱石の「門」の主人公、宗助が禅寺に長期滞在する場面がある。
鎌倉の禅寺に来た宗助は、老師から「両親が生まれる以前(父母未生以前の面目)について考えたらどうか。」と言われる。
みんな老師からそれぞれ公案(お題)をもらい、塔頭(宿坊)に戻り考えながら生活する。
食事を済ますと、薄暗い庵に籠り、初心者は時間の経過がわかるように線香を焚く。
ひたすら考えても何も浮かばず、本に頼ろうとすると、
「読書は修行の妨げになります。深く考えることをやめ、理解していると高をくくったり、自分を程度以上に思ったり、大変毒になります。」
などと言われ、定期的に行われる老師に見解(解答)を言う日が来る。
修行中のものが暗い一堂に集まり、ひとりずつ銅鑼を鳴らして奥の老師の部屋に行く。
宗助も同じように銅鑼を鳴らし、奥の部屋いる老師に公案(問)の見解(解答)を述べると、
「そのぐらいのことは、少し学問をしたものなら誰でも言える。」
と突き返され、また塔頭(宿坊)に戻り思い悩む。
銀閣寺にいるときは、もちろんそんなこと考えてなく、

どこでビールを飲もうか、そんなこと考えていたかな(笑)

でも、葉っぱひとつ落ちていない掃き清められた通路と、

新緑の季節のキラキラした苔が美しく、

応仁の乱で疲弊した民に作らせたこの楼閣で、義政は茶にでもふけってたのかなあと、

当時のまま残る銀閣を見てあきれるやら、何やら。
この後は、哲学の道をぶらぶら歩き、
陽気なイタリア人が飲んでいたオープンカフェで同じようにビールをいただき、

大阪に戻り、美容メーカーのスタジオ内覧会に顔を出し、
美容卸問屋に行って買い物をし、
あっちゃこっちゃでビールを飲んで、
終着駅はお初天神のバー。

中々濃密な一日であった。
オッサンツアーイン京都、次回をお楽しみに(笑)
滝口 徹